卑弥呼が創始の太鼓台2 女神と龍が揃う2(観音寺市・豊浜町・川之江市)
はじめに
私のブログのプロフィールには、主に二つの写真を使っている。二つとも神輿太鼓(太鼓台)に関係するが、1は、「卑弥呼の像」であり、2は、「卑弥呼の作った神輿太鼓と豊受山」が写る写真である。
本当は、2、の方から書くのが順序だが、先に1の卑弥呼像の方を書いたから、このまま続ける事にする。しかし、何故卑弥呼かを書いていくと、太鼓台と卑弥呼の関係を書くので、2の説明と同じになっている。
神輿太鼓は、卑弥呼が創始した上に、全国に見せて歩いたから、全国でこれに参加した人々が記念として、類似の山車を作り、継承することになった。だから、卑弥呼の時代の全国、瀬戸内海を中心にした西日本全域で作られたのである。
今、奈良県あたりから、長崎までの各地で、途切れながらも、祭りの山車の太鼓台として、継承されているのは、この故事を最大の慶事として、大事にした地域であり、誇りにしてきた地域なのである。
構成の権力者が様々な方法で、これを阻止してきたから、まだら模様の存在となっているが、卑弥呼以後の数百年間は、西日本一帯に広がっていたのだ。長い権力者の干渉で創始伝承は消えてしまったが、太鼓台の地域では、誇りとしている。
太鼓台の女神像2
二回目の今日は、飾り幕の別の女神像をあげる。
下の写真は、香川県観音寺市の太鼓台だと記憶する。この地の飾りは、大きな太鼓台の地域の東端に当り、飾りの変化が多い。しかし、面白いことに、女神の像は残っている。
後ろの建物も、「宮島」とある。宮島の女神は、天照大神とスサノオのウケヒ(誓約)に出てきた三女神(宗像の三女神)の一人である。しかし、この女神は、何故か龍に乗っている。
三女神と龍の関係を、私は知らない。この他にも、女神が龍に乗る図柄があるのだ。この飾りの話でも、女神が龍に乗る説明が出来ない。つまり、宮殿等を他の話にしても、女神と龍という組み合わせは各地で死守したと言うことだろう。

このように、観音寺・豊浜町・川之江市など女神と龍の組み合わせであり、これらに伝わる話では、龍の説明がつかない。<なお、市町村は現在変わっている。>
宇摩説では、地域に来た権力者の変更に対応した変化だと見ている。つまり、女神と龍を残せば、卑弥呼の故事を残せる、偲べるという思いである。この思いのおかげで、視点を変えると、これらの事が見えてくるのだ。
卑弥呼が見せた金糸で輝く飾り幕、その中の卑弥呼と龍が強烈な印象となった。これを継承するために、権力者の言いなりになりながら、女神と龍は変えなかったのである。
太鼓台と女神と龍については、本になるほど有るので、どこをどう書くか、悩む内に時間が来る。ここは、簡略にする予定なのだが、余り簡略だと意味が判らないのではないかと、つい、込み入ることになる。こうして、時間が無くなった。
途中だが、見直し生しで、此処で終わる。
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