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2009年1月12日 (月)

鳥居と石灯篭の宇摩説の形状と起源<9日ブログのコメント応答2>

  はじめに

 鳥居の起源は様々の説があってまだ決定してない。検索すれば諸説が出てくるので、そちらで読んで頂きたい。

 い昨日、昨日と、鳥居を書くことになった。そこで、日本の謎を何でも解こう(解ける)と云う宇摩説としては、一応の答えが必要である。

 これまで、宇摩説として鳥居についてはあまり深く追求しなかったので、今回は現在の宇摩説として鳥居・石灯篭に関する起源・形状などの考察を書くことにした

 今回もnihonhanihonさんのコメントに触発されたので、下にこのコメントから紹介する。

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/868179/

 なお、鳥居の検索で出てきたブログで、基礎知識としてよくまとめているブログは「鳥居の基礎」のようです。現在の状況が良く判ります。

http://homepage2.nifty.com/butuUkai/torii/kiso.htm

 

  鳥居の形

 重複ですが、もう一度鳥居の形状が、穀倉に似る話から書いてみよう。

 前回、鳥居は弥生穀倉の形だと書いた。弥生土器には、「弥生土器の穀倉は、二階建てで、屋根が上ほど大きな末広の形の特徴があり、中に、屋根上に鳥が止まる」。

 そして、鳥居は屋根の部分に当たる笠木が上ほど大きくなっている。次の貫(ぬき)は二つの柱を貫通する。抜きの上が、穀倉の二階部分を表している。

 下の一階部分を長くしているのが、鳥居であり、弥生穀倉の立面図を簡略化した形だと解いた。この解明に、また、コメントが寄せられたのだ。

 なお、神輿太鼓(太鼓台・布団山車、ほか)の形状も、穀倉に一致する話も書いておいたし、この山車が卑弥呼の由来する説明も先に書いている。

 神輿太鼓は、卑弥呼に由来するだけに、卑弥呼の思想が残ること、弥生時代の社会や認識が残ることも概要で説明している。なお、神輿太鼓は、いずれ、本にする予定である。

     ***** コピー ******

Commented by nihonhanihon さん

なるほど鳥居も布団太鼓同様に倉のデザインなんですね。
変な言い方になりますが面白いことが続きますね。

Commented by 三島明 さん

(* 以下の文は、ブログにあたって部分修正した)

 弥生土器の穀倉を見ていて、(まえに)この事に気づいていました。ただ、深く考えないで過ごしてきていたので、確定とは言えない状態だった。

 今思えば、鳥居は、後に神社が作られた時、弥生時代の穀倉の認識を残すために、神社の入り口に作られたのであろう。と思います。

 穀倉は高天原の指導に対する人々の感謝の象徴であり、穀倉の穀物が来年の種になったり、高天原の運営費になったり、災害時の救助米になったり、様々に使われました。

 弥生時代の稲作は、この穀倉から、稲種が支給されていたと見ています。今も、稲穂を奉納する神社が残ります。これが原始の習慣だと思います。

 こうしたことから、全国に多くの穀倉が作られていたと思われます。各地の倉に関する地名は、跡地でしょうが、神社になって地名が変った所が多いようです。

 弥生時代の穀倉は、地域では高天原の出先機関となっていたから、弥生土器の絵画に穀倉が多く描かれたのでしょう。

 鳥居が神社の象徴になったのは、弥生穀倉を意味したからでしょう。穀倉形の鳥居で、地域に伝承された稲作の発生と、村の歴史が象徴されたものと思います。

 宇摩説で古事記を解いたような歴史が全国にあり、それが伝承されていた。朝廷によって穀倉が廃されて、神社になった時に人々は過去の記憶を残すために、鳥居を作った

 また、神社が作られた当時の人は伝承によって、地域の歴史の象徴と知っていた。が、次第に歴史が消えて、現在は、単なる神社のシンボルになった。

 以上が宇摩説の鳥居の起源、及び形状の理由です。宇摩説の起源論は簡単明瞭だと思います。

 鳥居を知るには、弥生時代にあった高天原社会を知らなければならない。これを知るには宇摩説を読み知らねばならない.ということになるようです。

  神社の灯篭

 神社には多くの石灯篭が寄贈されています。この灯篭も、今回のブログで、これまで考えてきた事をまとめておきます。

 実は、「」灯篭も弥生穀倉から発生したものと思っています。よく見れば、灯篭の形も穀倉の基本形に、よく似ています。

 普段は気付かないのですが、屋根の部分は下の灯りを灯す部分が二階であり、ここを中心に見ると、末広がりの屋根だと判ります。

 屋根の部分が山の形に盛り上がるから見落としています。朝廷によって、後に創られた御神輿の形でもあります。(なお、御神輿は逆に一階部分が無い。意図的と思います)

 実は、宇摩郡の東隣りの新居郡の太鼓台には、最上階に天幕があり、一層灯篭に似た形をしています。私は新居郡だけ朝廷から、元の形状が許されたものと思っています。

(ここに書いた、太鼓台の写真は、「建国と今」で検索して、ココログのブログでアルバムを見るのが良いと思います。お手数ですが、興味があれば、行ってください)

 つまり、宇摩説として、「鳥居と灯篭は、弥生時代の穀倉が原型であり、これを置くことで、稲作などの地域伝承のシンボルとした」と思います。

 こうして、神社には弥生時代を偲ぶものが作られた。だから、神社に祭祀する祭神だけでなく、地域の住民が語り継ぐ伝承の象徴を神社に奉納した。以上が宇摩説解明です。

 今はこの理由が知られていませんが、、、、。

 最後に、神社の狛犬については、前に書いています。これは過去の伝承ではなく、朝廷の指示によって神社が作られた時に、同様に指示されて導入したものでしょう。

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